LS3/5Aについて

BBCモニターLS3/5Aで聴こう

マダム聖子SONGS

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実のところ、リアルタイムでアルバムを聴いていたのは「Pineapple」まで、それも熱烈ファンの友人のプッシュによるところが大きかったわけで、「ユートピア」以降を聴いたのは2009年に昔の雑録テープで松田聖子を再発見してからなのです。それで、今でも観たり聴いたりするのは初期作品ばかりなのですが、そうは言っても現役で頑張っておられることだし、spotifyで聴けるので、最近のものから遡る方向にマラソンしてみました。シングル曲は割愛して、いわゆるアルバム曲の中から耳に引っ掛かった音源を一行コメント付きで貼っておきます。(ソニー時代までは届きませんでした。)

 

2018年『Merry-go-round』から

永遠の愛で 変わらない愛で」作詞・作曲 松田聖子

※軽くて明るいメロディーとカーペンターズ的編曲が秀逸。タイトルはなんとかならんか。

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あの風の中で」作詞・作曲 松田聖子

※これを聴くと、なぜかチャゲ&飛鳥を思い出す(特に♪君の涙が僕を離さない〜の辺り)

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2017年『Daisy』から

Daisyを君に」作詞・作曲 松田聖子

※素朴なフォークソングの感じ。シンプルなアコースティックアレンジもいい。

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2016年『Shining Star』から

あなたへの想い」作詞・作曲 松田聖子

マキタスポーツの言う"0点感満点のAOR" とはこのことか。特にサビがいい感じ。

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2014年『Dream & Fantasy』から

Only one for me」作詞 松田聖子    作曲 松田聖子・小倉良

※軽くて明るいメロディが良く似合う。バカラック的アレンジのウキウキ感。

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2013年『A Girl in the Wonder Land』から

ひみつ」作詞・作曲 Chara

※セルフでは聴けないニュアンスの歌詞とメロディ。これは名曲・名唱。

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白い月」作詞Seiko Matsuda 作曲 Toshinobu Kubota

※「ひみつ」に触発されたのか、この歌詞はいつもと一味違う。

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2009年『Seiko Matsuda Christmas Songs』から

Merry Christmas」作詞・作曲 Seiko Matsuda

※このメロディには完全にやられました。男歌だと歌詞もマシなのはなぜ?

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2007年『Baby's breath』から

しあわせをつかまなくちゃ!」作詞・作曲 Seiko Matsuda

※これはアレンジの貢献度が高いけど、「夏の扉」系で秀逸。

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瞳とじて」作詞・作曲 Seiko Matsuda

※以前の記事で「WITH YOU」の本歌取りとご紹介したもの。本当にイイ!

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2005年『fairy』から

夢見てた二人」作詞 Seiko Matsuda、作曲 Yuji Toriyama

バカラック風アレンジがよく似合ってます。

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2000年『20th Party』から

上海ラヴソング」作詞 Akiko Yano、作曲 Shinji Harada

※主役ではないけれど、アルバムの中にこういう曲があると嬉しい名脇役

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RAIN」作詞 吉法師、作曲 Ryo Ogura

※今回のマラソンの中で一番心惹かれた曲のひとつ。歌詞・曲・編曲・歌唱のどれも最高。

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1999年『永遠の少女』から

samui yoru」作詞 吉法師、作曲 佐々木孝之

※このアルバムは捨て曲なしなのでどれを選んでもいいが、これはビートが面白い。

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 エメラルド海岸」作詞 松本隆、作曲 柴草玲

※昔の聖子ソングから集めたようなシーンをのせて流れる美しいメロディ。

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心のキャッチボール」作詞 松本隆、作曲 福士健太郎

※ ”河川敷”なんていう単語で始まる歌詞は、聖子さんには全く期待できないと思う。

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1996年『Vanity Fair』から

白いバラをあなたに…」作詞 Seiko Matsuda、作曲 Seiko Matsuda・Ryo Ogura

私の場合、ハチロク系には点数が甘くなる。聖子的スタッカートが聴けて嬉しいです。

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以上、17曲でした。あの曲もイイヨというのがあれば教えてくださいネ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<追記>

聖子さんの新曲中にどうもこれが谺してしかたないのですが(汗)

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これがジャズかしら?

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50回投稿したらこのブログはとりあえず第一期終了としたいので、今回は今まで触れて来なかったジャズ、というか”ジャズみたいなもの”についてです。
というのも、私が最初にジャズと認識したのが、ある夏の晩にラジオから流れてきてエアコンの無い部屋の温度を3度下げたモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)とローリンド・アルメイダによる「アランフェス協奏曲」- ほとんどアドリブなし - だったからです。

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ここには二重の誤解が発生しました。この種の音楽がジャズだという思い込みと、「アランフェス協奏曲」がジャズだという思い込みと。
後者については小遣いを貯めて人生初のLP「コラボレーション」を手に入れて同封された解説を読んだときに解消しましたが、前者については今でも微かにそんな気がしています。

そして、きっかけは「アランフェス協奏曲」でしたが、そのLPの中でさらに心を掴まれた曲がありました。そのひとつがJ.S.バッハ「フーガ イ短調BWV947」です。これもアドリブなし。

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参考としてこちらが原曲ですが、この勿体ぶった演奏よりMJQの方が10倍好みです。

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MJQとしては珍しいサンバ調の「想い出の誓い( Foi a Saudade)」

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こちらの原曲は今回検索して初めて聴きました。

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もうひとつ、ボサノバのスタンダード「ワン・ノート・サンバ」

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要するに、こともあろうにモダン・ジャズ・カルテットの演奏でクラシックサンバ/ボサノバの楽曲を気に入ってしまったという訳なのです。このような、いささか込み入った事情が根っこにあるので、主流のマイルズとかコルトレーンとかは、きちんと聴いて来ませんでした。(アドリブになると直ぐにどこにいるのか分からなくなってしまうという聴取能力の問題も、主流派ジャズを聴く上での大きな阻害要因としてあるのですが。)

 

例えば日本のグループ カリオカのブラジル系BGM。

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例えば、ジャズサックス奏者ポール・ウィンターのボサノバアルバム。

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ポール・ウィンター繋がりで、ポール・ウィンター・コンソート

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ポール・ウィンター・コンソートのメンバーが独立して作ったグループ オレゴン 。

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オレゴンのリーダー、ラルフ・タウナーのギター独奏で、なんと「ナーディス」!

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オレゴンのメンバー、ポール・マッキャンドレスが参加したECM「スカイライツ」

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以上、レコード売り場やCD売り場ではジャズ周辺の棚にあることが多いというだけの、今はもう聴く人もあまりいない無国籍音楽たちでした。

 

 

<追記>

そういえば、なぜか僕はロックを聴きませんでした。あいみょんは好き。

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シベリウス第7交響曲 冒頭のティンパニ

音楽に興味を持ち始めた頃から積算すると、結構な数の”音楽評論”と”オーディオ評論”に目を通してきました。しかしそのほとんどは、好き/嫌い良い/悪いが論じられているだけで、いやいやそれは評論ではなくて感想文でしょうというような代物でした。外国はいざ知らず、日本では高価だったレコードや蓄音機という商品のお買い物ガイドの文章がそのまま"評論"として定着した歴史があるためかもしれません。

でも、ごくたまに評論らしい評論に出会うこともあります。

 シベリウスの<交響曲七番ハ長調>作品105を聴く時、最初のティンパニの一音と、それに続く低音弦楽器の上行音階に、非常に重要な演奏の判断基準が秘められていることに気づく必要がある。つまり冒頭の低い「ト音」が、前打音を二個伴ったアクセント付加のピアノ(弱音)で奏されるティンパニの一撃であり、これが上行音階の出発音であることを留意していない演奏だと、ティンパニとチェロ+バスの音階の間が途切れて、一本の旋律として繋がらなくなってしまうのだ。(中略)

 ヴァイオリンの「ト音」から「変ホ音」までの短6度音程上行は、途中からティンパニオクターヴ下で補強を受けているのだが、ティンパニは「ト音」の持続でピアノからクレッシェンドするトレモロ。6度跳躍して「変ホ音」に達すると、今度はメッツォ・フォルテからトレモロディミヌエンド。ここで、このように6度音程がはっきりと輪郭を現している以上、開始のティンパニの「ト音」が単独の存在である筈がなく、続く上行音階動機と分離されて良い理由は全く見つからない。

 ティンパニの「ト音」から静かに始まって、上行と平行してクレッシェンドし、しかもこのクレッシェンドに楽器の増加が伴うという発想を持っている以上、開始音としてのティンパニの「ト音」が、ただ単に曲の開始というだけではなく、冒頭上行音階動機の出発音であることは明らかだ。こうして動機の冒頭音としてのティンパニの「ト」音の位置づけが説明される以上、演奏にも明確にそれが反映されなければならない筈だ。

〜 諸井誠著「交響曲名盤探訪」(1995年、音楽の友社発行)から引用

(ただし文字の着色は原著には無い)

曲頭のたった一発(前打音を含め三発)のティンパニに重要な意味があるとは、思いも寄りませんでした。上の引用文の着色文字と対応する箇所を下のスコア抜粋に示します。

 

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 さらに、もし最初のティンパニの「ト音」を上行音階に含めずに上行音階が「イ音」から始まる(すなわちイ短調)と考えた場合を検討して、次のように述べています。

(前略)この上行音階旋律の頂点に来る和音(変イ・変ハ・変ホ)はイ短調とは全く無関係な変イ短調からの借用和音なので、よもやイ短調などと開始の調整を見誤ることはなかっただろう。説明があまりに複雑になり、専門化するのを恐れて、ここではこの和音の和声法的意味の説明は避けることにしたいが、少なくとも、イ短調とすれば、この変イ音上の短三和音の存在意義は著しく説明しにくいものとなる。

以上の論拠によって、ティンパニとチェロ+バスの音階の間が途切れずに一本の旋律として繋げられた演奏、すなわち ソ・ラシドレミ〜ではなくてソラシドレミ〜と演奏すべきと結論付けているわけです。

どうでしょうか。こんな風に書かれれば実際に音を聴いてみたくなりませんか。文中で例示されている演奏録音を貼っておきます。

 

■ テンポが速くて論外としながらも「ト音から始まる音階上行線の構造が非常に明確」と評されたムラヴィンスキー

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■ 桁外れにゆっくりしているとしながらも「冒頭のティンパニの音程が正確」で「ト音からチェロのイ音への推移も音量のバランスが良好なので完全に一つの旋律線に聞こえる」と評されたラトル旧盤

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■ 「私はサー・ジョン・バルビローリシベリウスを、この曲に留まらずシベリウス解釈の基本と見做している」と評されたバルビローリ新盤

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こうしてみると、諸井誠が評価した三つの演奏でもずいぶん印象が違いますよね。これがクラシック音楽というものです。

spotifyで聴けるたくさんの録音の中で、諸井派の演奏と非・諸井派の演奏がどの程度の割合なのか、冒頭のみざっと聴いた印象を下記に示します。(※印はspotifyに複数の録音があった指揮者ですが、全てを網羅できているわけではありません。)

 

 <ティンパニが上昇音階の始まりの音に聴こえるタイプ(諸井派)>

(以上20種類、順不同)

 

ティンパニが上昇音階から孤立しているように聴こえるタイプ(非・諸井派)>

(以上29種類、順不同)

 

全体として見ると諸井派は4割程度でした。興味深いことに、同じ指揮者の複数の録音で諸井説を支持しているのはC.デイビスのみでした。マゼールバーンスタインカラヤン、ラトル は旧録音では諸井説を支持するも新録音では不支持という心変わり派(諸井氏は楽曲全体の演奏としてはカラヤンの新録音を称賛していますがティンパニの出来については触れていません)。

逆に、4種類の録音でいずれもティンパニを孤立気味にしているのがシベリウススペシャリストであるベルグルンド。2種類の録音ではヴァンスカとインキネンとストコフスキーです。

こういう場合、諸井説が正しい/間違っている、とすぐに白黒を付けるのは違うと思います。そうではなくて、諸井説を採った場合、楽曲全体へはどのような影響があるのか、どのように演奏すべきなのか、反対の立場を採った場合はどうなのか、そしてそれはなぜなのか、そういったことをあれこれ考える楽しみもクラシック音楽には余白として残されていると思うからです。(ポップスの場合、こういう理屈を言うのはご法度です。考えるな、感じろ!というのがポップスの教義なので。最近はクラシック界もそちらの方向への言論統制が強まってきて、こういった小理屈は嫌われるようです。)

 

<おまけ>

シベリウス交響曲第7番冒頭とブラームス交響曲第3番冒頭のスコアを並べてみると、なかなか面白いです。拍子はどちらも三拍子系、低弦が半拍ずれながらリズムを刻み、それに乗って直線的に上がる/下がる旋律線。音にすると全然違うのですが。この箇所のみならずシベリウスの曲には時々ブラームスがちらりと聴こえたような気がするときがあります 。詠人しらずの格言「良い芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」とはこういうことを言うのでしょうか。

 

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シベリウス第7番の冒頭

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ブラームス第3番の冒頭

 

 

軽いコーンは立ち上がりが速い?

かつて廃刊久しい「FM-fan」というFMラジオ番組の情報誌がありました。インターネットもお金もない時代ですから、ラジオから流れてきて気になった音楽の曲名を聞き逃したときには、書店に走って「FM-fan」で調べるわけです。

その「FM-fan」に連載されていたのが『長岡鉄男のダイナミックテスト』。すぐに、その歯切れの良い文章のファンになりました。氏の好みは軽いコーンに強力なマグネットで能率が高くて速い音のスピーカーでした。重いコーンで低能率のカッタルイ音は嫌い。いやいや音速は一定(室温で約344m/s)だ、とか野暮なことは言いっこなしですよ。止まっている物を動かそうとするなら軽い物の方が動かしやすい、立ち上がりが速いという意味です。

しかしよく考えてみると、立ち上がりが速いと言ったところで出力信号波形が入力信号波形よりも速く立ち上がったらそれはそれでオカシイので、最高に速く立ち上がっても入力信号と同じ速さのはずです。つまり、”速い音”とは入力信号波形を忠実にトレースした音に他なりません。

百聞は一見に如かず、振動系が重い・中くらい・軽いのスピーカーについて、それぞれサイン波の再生波形を観察してみました。使用したユニットは次の通り。

  • 重い:KEF B110(LS3/5Aのウーファー*1  M0=10.5[g]   BL=7.1[T-m]
  • 中位:マークオーディオOM-MF5 M0=2.05[g]  BL=2.62[T-m] (フルレンジ)  
  • 軽い:FOSTEX FE83En M0=1.53[g]   BL=3.35[T-m](フルレンジ)
       M0は実効質量、BLはフォースファクター(ボイスコイルに発生する駆動力)

入力信号は200Hzのサイン波2周期分ですが、簡易測定のため入力と出力との同期が取れないので、位置の目安としてサイン波の節と腹とにそれぞれ10kHzのサイン波(半波)でツノのような目印を付けました。下図の「原音」がそれです。

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重い、中位、軽い振動系の再生波形

駆動力に対する実効質量はLS3/5AのウーファーB110が断然重くて、OM-MF5の2倍弱、FE83Enの3倍以上あります。B110のコーンはそれだけ動かしにくいはずです。

ところが、上の再生波形データを見ると重いB110のみならず、それより軽いOM-MF5もFE83Enも、200Hzの最初の半周期が潰れてしまってほとんど再現されていません。ツノの部分には反応している*2ものの、余計な振動が付加されて波形が大きく変化しています。特にOM-MF5は共振を起こしているようです。そして二周期目はB110が最も原音に近い波形を示し、OM-MF5とFE83Enは1/4波長ほど位相が進んでいます。さらに三者とも入力信号が途絶えた後もすぐには止まりません。原音には無い残響が付加されているわけです。

結局、波形の再現性は振動系の重さや駆動力の強さのみで決まるほど単純なものではなくて、もっと他にも要因がありそうだということが分かりました。その要因が何で、どのようにして解決するのかということは、それこそスピーカーの設計者が考えるべきことでしょう。

それでは、なぜ振動系が軽いほど立ち上がりの速い音に聴こえ、重いほど立ち上がりの遅い音に聴こえると、長岡鉄男のみならず多くのオーディオファンが言うのでしょうか?

おおよそ推測はつきますが証拠を示せないので言いません。言わぬが花という言葉もあります。 

*1:LS3/5Aでは200Hzの信号は内蔵されているクロスオーバーネットワークの作用によりB110のみに入力される。

*2:LS3/5Aではクロスオーバーネットワークの作用によりツィーターのみが反応している。

オーディオポエムの源流を訪ねて(その2)

 

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本来ならオーディオマニアの旧約聖書であるべきはずだが、どういう訳か誰も取り上げない『蓄音機読本』。前回に引き続き、読み応えのある一編をご紹介します。

今でこそ、真空管アンプトランジスタでは得られない特有の持ち味があるということで人気を博していますが、真空管が最新のデバイスであったこの時代にはどのように評価されていたのか、ぜひお読みいただければと思います。


 上司小剣(かみつかさ しょうけん)は、むしろ蓄音機愛好家として知られている小説家です。死後70年が経過した2018年1月1日に『蓄音機読本』の著作権が切れたので、前回同様その中から一章を転載します。なお、原文の旧漢字は新字体に改めました。誤字・脱字等あればご容赦ください。


愛機を語る 

 私は近頃、枯木や金石にも生命があるやうに思はれてならぬ。石の成長すると否なとは、学者の説を待つまでもなく、「……さざれ石のいはほとなりて……」の歌で、千年前の日本人が既にこれを考へていたことがわかる。枯木と金属との集合から成る蓄音機の如きは、大なる生命をもつている。彼れはよく働いて、音楽を生産する。

 私は幼少の時から、器物を愛することを知つていた。長ずるに従つて、この器物愛が一つの「癖」となつた。さうして、器物もまた愛によつて活くること、人間と同じであるのを知つている。

 殊に蓄音機の如きは、愛によつて活くる力の強いものである。同じ蓄音機にしても、これを熱愛する人によつて用いられるのと、それほどでない人に使はれるのとでは、よほど働きがちがつてくる。愛しなければ機械が活きてこない。

 ここに一つの比喩がある。或るところで、甲と乙とが隣り合つて、新しく家を建てた。設計も用材も坪数も、全く同様で、一見双生児のやうな家である。夜なんぞ、両方で間ちがへて、隣りの家へ入りさうであつた。そこに十年の歳月が流れた。甲は勤勉で、用意周到で、よく掃除し、よく修繕したから、十年経つても、その家は美邸であつた。それに引きかへ、乙は無精者で、だらしのない人間だつたから、日々の掃除も、年々の修繕も怠り勝ちで、十年の後には、隣家と比べものにならぬあばら家となつた。そこへ家屋税の評価委員が来て、双方の家を調べた上、課税額を決定したが、甲の払ふべき税は、乙の払ふべき額の約三倍であつた。甲は大に憤慨して、もともと同価額で建てた家で、建築当時から現在まで家屋税も同額であつたのに、いま俄かに甲の家屋税を乙の三倍にするのは怪しからん、といきまくのである。しかし、区役所では、現在の家屋の評価を基とした賃貸価額によつて課税するのだから、甲の家屋が乙の家屋よりもズツと立派で美しいために、さうなつたのは已むを得ない、と説明したけれども、甲はなかなか屈しないで、自分の家がまだ立派だと思はれ、美しいと見らるるのは、一に自分の勤勉と注意周到とのためである。勤勉と注意周到とに課税するといふ法はない。よろしく、乙の怠惰とづらう(注:「づらう」に傍点)とに課税すべし。だと抗弁し、行政訴訟にまで持ち出した、といふのである。

 同じ家でも、これを愛して、手入れを怠らぬのと、さうでないのとによつて、これだけの相違を生ずる。蓄音機の如きは、殊にさうである。私なんぞの場合は、少し極端だから、一般の例にはならぬかも知れないが、先づ一軒の家に一台の蓄音機があるとすれば、第一にそれを取り扱ふ人を一人に定めておく、といふのが、何よりも必要である。誰れ彼れの区別なく、勝手にいぢり散らすのでは、どうしても無理が出来たり粗雑に流れたりして、機械に狂ひを生ずる因となる。すなはち、機械を愛する所以でないのだ。子供のための蓄音機を一台、どうしても備へる必要がある。それには、音色なんぞどうでもよい、堅牢一式のものを選ぶことだ。ヴイクターなんぞは、丈夫向きに出来ていて、木製にしなければならぬ部分に、堅固な鉄を使つたりしてあるから、少々乱暴な扱ひ方をしても、めつたに狂はない。

 

      ◯

 

 いやでも、ここで、私の蓄音機使用法を述べなければならぬ。断つておく、私は電気蓄音機といふものが大きらいである。学術上ではどうあらうと、私は電波による音の伝送には無理があると思つている。真空管を用いて音の再生、アンプリフアイヤーなるものは、感度がよすぎて不自然になると信じている。世界第一の高価な真空管を用い、その他の部分品も、特殊のものを選び、一万円もかけて蓄音機を造ればどうだか知らぬが、そんな優秀なものは、個人の手に入れることが、困難といふよりも、不可能だと聞いている。それに日本は湿気の強い国で、さうしたデリケートな電気器具に恵まれていない。電話用器の如きは、特別に日本向きの、湿気の堪へる拵へ方にしてあるさうだが、あれはただ通信用だから、意味がハッキリわかればよいので、知人の声が似ても似付かぬ音色になつて響いて来ても、一向構はない。ところが、ラヂオや蓄音機はさう行かぬ。原音そのままでなければ腹が立つ。トーキーの可なりいいものを聴いたが、いづれも語尾が、ピンピンと、ハガネを弾くやらに響いて、しんみりしたところがない。どんな雄弁家だとて、あんなに悉(ことごと)く 人の胸へ声を反響させるやうなことはない。

 コンサートや、商人の客寄せや、カフエのやうなところなら、電気蓄音機もよからう、いや電気蓄音機でなければならぬであらう。しかし、個人の家庭にあっては第一あんなものは、やかましくてしやうがない。 レオスタットで調節して音を低くすれば、さツぱり味のない、一そう不自然なものになる。いづれにしても、電気蓄音機からはしみじみとした物静かな味が出ない。むろん、オーケストラーのある部分なんぞは、電気蓄音機によいところはある。しかし、いろく差引き勘定をしてみて、ドラルミンのサウンドボツクスを用いた機械蓄音機の優秀な ―― それは同じ型のもの百台の中から一台ぐらい特別に出来のよい ―― ものを選び出したのに上越すことはない。

 時計でも、写真機でも、蓄音機でも、いまは大量生産で、同じ型のものを幾百千となく造るのであるが、やはり昔時の手工業の如く、同じ品であつても、甚だしい不出来がある。たとへば数年前に流行ったヴイクターのクレデンザにしても、出來栄え百パーセントのものは、何百台とか何千台とか日本へ輸入した中で、僅か三台しかない、その一台はヴイクターの本社の客間とかに飾つてあったもので、他の一台は、どこそこ、いま一台は、あすこにあると、委(くわ)しい話を聞いたことがある。 およそ名刀を手に入れるのが、戦国時代の一大難事業であったらしく、同じ正宗や大兼光(おおかねみつ)の在銘でも、出来不出来が甚だしくて、切れ味がちがふのださうな。蓄音機もそれと同じく、たとへ黄金を山と積んでも、出来栄え百パーセントのものを即座に手に入れることはむづかしい。出来榮え百パーセントのものは、富籤(とみくじ)や勘業債券の一等にあたるやうなもので、よほど幸運な人でなくては駄目であるが、下つて、出来栄え七十パーセント、八十パーセントのものでも、なかなか手に入らぬ。故東健而氏は自家所有のクレデンサを出来栄え七十五パーセントと自ら評価し、その辺にザラにあるのは、いづれも五十パーセントか、せいぜい六十パーセントぐらいのものだ、と言つていた。

 されば、出来栄えのよい機械蓄音機を持つている人は、旧式だなぞと言って、軽々しく それを手離さないことだ。ガーガーとやかましい電気蓄音機なぞに買ひかへたら、初めの うちは珍らしくとも、すぐ飽きてしまふ。殊に私の場合は、何も他人に聴かせるための蓄音機でないから、自分にさへ満足なら、それでよいので、電気蓄音機を好む人の講釈や抗議は少しも聴きたくない。

 今はもう、全然人の顧みないマイカサウンドボックスを付けた最旧式の蓄音機にさへ、かけるもの次第で、なかなかよく聞えるのがある。マイカのよいのにあたると、実に素晴らしいもので、いまは知らぬが、二三年前には、吹き込み会社で、レコードの出来具合を試験するのに、電気蓄音機や、ドラルミンを用いず、必らずマイカによつていた。それほどマイカには優秀なのがあるのだ。それにマイカ時代の二千円内外もした蓄音機の内部構造は甚だ念入りによく出来ていて、私の如き機械美の憧憬者は二時間約三時間も、あの立派な函を開いて、取り出したモーターに眺め入り、うツとりとなることがある。 レコードなんぞをかけずとも、函やモーターを撫でたりいぢつたりしているだけで、十分、楽めるものだ。

 

      ◯

 

 話が横道へ逸れたが、さて、いよいよ私の蓄音機の扱ひ方を語るとして、第一私はいま二台の蓄音機を持つている。(嘗ては四台持つていた) そのうちの一台は、五年ばかり前手に入れたブラ ンスイツクのマドリイ号で、これはなかなか具合がよい。回転に際して微音だもしない。夜半四辺の静かなころ、これを回はして、ジツと耳をおツ付けても、ターンテーブルが空気を切るスーという音のほか、何も聞えない。私はずいぶん方々の蓄音機を試めしたが、こんなのは一つもなかつた。

 この蓄音機を手に入れたのは、何年か前の三月六日、日本の地久節の日であつたが、例月六日には、他にどんな用があらうと、私はこのモーターを函から取り出して、要所要所に柔かい油を注す、さうして、毎年三月六日には、別に通知をしないでも、頼み付けの技手が来て、ゼンマイにグリスを入れてくれる。キチンとして、毎年毎月変ることがない。それから、レコードをかける時でも、ただ機械を回転させる時でも、(私にはこのごろ機械を空回りさせて独りで楽んでいる時の方が多い)必らず先づ微温湯で手を洗い、石鹸を使 って、汗や塩気の付かぬやうにする。斎戒沐浴大袈裟だが、手ばかりでなく、埃りの付いているやうな着物は、必らず新しいのに着更へて、蓄音機に向ふ。蓄音機の動いている間は、決して飲食しない、菓子を一つ摘まんでも、砂糖気が機械のどこかに付くのを恐れるのである。曾て、私の愛機マドリイ号に些少の回転不同を生じたので、直に技手を呼んで 分解してみたところ、どの部分もちゃんとしてみて、ゆるいところがない。手は汗みづくになつて漸(ようや)くゼンマイを入れた鋼鉄の函に差さつた心棒に付いている指輸のやうな砲金、普通にメタルと言っているものが、少し磨滅していたのを発見し、早速それを取りか へたことがある。

 それから、冬だと、瓦斯ストーブのある室によく蓄音機を置いてる人があるけれど、 あれは甚だよろしくない。瓦斯を焚くと、機械の金属が錆びて腐る。理由は知らないが、事実はまさにその通り。一体に煙りがわるいやうで、タバコなんぞも機械の側で吸はぬがよい、私は大のタバコ嫌ひだからよいが、人によると、タバコをくはへながら、蓄音機をかけたりして、回転盤の上へ灰をおとし、それで平気であるといふ乱暴ものもある。小心翼々 ーー 私の蓄音機に対するのは、常にこれで、むろん、誰れにいぢらせない。死ぬ時 は、愛機マドリーを壊し、モーターを湖水の底にでも沈めたいと思つている。松永久秀が 志貴山の落城に際し、愛する茶鐺(ちゃとう) を抱いて、焼け死んだ気持ちは、私によくわかっている。彼れは器物愛の大先輩である。

 たとへ僅(わず)かでも、蓄音機の回転に異様な音のするのは、私の最も厭ふところである。それは、可なりひどいゴトゴトといふガヴアナーの音がしても、レードをかければ、音楽に消されてしまふから、実際上別だん不都合はないやうなもの、実用に事は欠かなくとも、気持ちのわるいといふことは、実用を超越して、私の心身を痛める。何事も実用実用で、実用を重んずる結果、精神上の鍛練がおろそかになつて、知らず知らずに恐ろしいこ とを招来する原因になる。それが現在の広い意味での世相の一つである。....と、いやに話をむづかしく持つてまはったのをお詫びするが、ガヴアナーの些少なゴトゴトでも、それが遂ひに救ふべからざる故障のもとになることがある。しかし、私はそんな故障の有無に関はらず、蓄音機がよけいな音を発するのがいやである。自分が病気になるのよりも、蓄音機が微恙(びよう)に罹るのを悲む。電気蓄音機、または動力ばかりを電気にした蓄音機は、どんなに注意しても、ぶうーんと唸る音がする。私が電気蓄音機を厭ふ一つの原因はそこにもある。いつぞや、友人の家で、電気蓄音機を聴いていると、一天俄に掻き曇つて、ひどい雷鳴だ。雷鳴と戦ふつもりで、友人は蓄音機をかけつづけようとしたが、パツと消えた電燈 とともに、停電だ。自身の内部の生命によって動くことを知らぬ電気蓄音機は、外部から仰ぐ力を断たれて、忽ち頓死してしまふ。こんなことのあるのも、私が電気蓄音機を厭ふいま一つの理由である。それに一時間もかけていると、自然に熱をもつて来て、十分問ぐらい休まさねばならぬ、あれも電気モーターの欠点だ。

 

      ◯

 

 おなじみのあらえびす氏は、珍品レコードの蒐集で日本一...と言はれたのは昔のこと、 いまは世界有数のコレクションを持つて居られる。いろいろのものを差し引きして、日本がどれだけの程度に世界の大国であるかは知らぬが、あらえびす氏のレコード通と、その 蒐集とは、まさしく世界的である。大家巨匠軒を並べていても、いざ世界的となると、片手をあげて、先づ親指を屈するにさへ、ちよつと困る日本だ。しかし、あらえびす氏のレコードだけは、たしかに、何んの躊躇なく、世界的の一として、指をかがめることが出来る。ただ私の常に遺憾だと思ふのは、氏が一向機械に無頓着なことである。私のやうに小心翼々として機械に奉仕しているもの眼から見れば、氏の大謄不敵(だいたんふてき)にただただ驚くばかりである。しかし、世上のフアンにはこれが多い。 レコードは比較的大事にするが、機械の取扱ひは甚だぞんざいで、詰まりレードを中心にして、機械を奴僕(どぼく)視するのが、一般ファンの常態である。 あらえびす氏も請まりその流義の大文ファンなのであらう。「菊つ くり汝は菊の奴哉」といふ俳句があるが、私は全く蓄音機の奴である。 レコードはどうで もよい。誰れか私の蓄音機に向つて石を投ずるものがあつたら、私は昔新田義貞の家来が身を以って義貞に注ぎかかる敵の矢を防いだやうに、自分の身体で蓄音機を掩ふであらう。自身が怪我して蓄音機が助かれば、この上ない欣びである。若し自分の身体で間に合はなければ、レコードの障壁を築いても愛する蓄音機を護る。レコードなんぞ、すツかり毀してしまつてもい、蓄音機さへ無事であるならば。......

 私の蓄音機は、それをかけて音楽を聴く時だけの必要物ではなく、常住座臥、愛機の側に居なければ、私は仕事も手につかず、安眠も出来ぬ。それで私は狭い書斎へ愛機マドリイを持ち込み、仕事の不便を忍んで、これがためにわざわざ机を小さくし、(他の調度との調和をはかるため)次ぎの洋室から蓄音機を聴くことにしている。愛機と同室を許されるのは私だけで、家族等は決してこの室に入れない。夜もやはり、狭いのを忍んで愛機の前に臥床を舒(の)べ、そこでなければ、私は眠れない。深夜眼が覚めると、枕の上からつくづく愛機を眺めて、獨りで楽んでいる。器物愛に無頓着な人は、狂気の沙汰と思ふであらうが、 ここまで行かねば、蓄音機ファンも徹底しない。

 前にも言ったとほり、卑近な実用ばかりを考へるのは愛の極致でない。正宗の名剣を愛する人にしても、それを抜いて振りまはしたり、人を斬つたりしなければならぬといふことはない。名器名刀となれば、ジツとそれを見入っているだけで、既に実用を果たしているのだ。これをブウルジウア意識なぞと言ってはいけない。日本人は元来、直接の実用よりも、趣味を重んする人種だ。されば西洋人が口ーマの昔に廃棄したゆるやかな広袖の服を、いまもなほ着物として用いている。支那人だって、明朝の頃までは、ゆるやかな服であつたが、実用上仕事に不便だと言って、廃棄したのだ。実用よりも、ゆたかな趣味、それを重んずるのが、日本人のいいところである。


上司小剣著『蓄音機読本』(1936.6.20発行、文学界社出版部)〜『コレクション・モダン都市文化(第73巻) クラシック音楽』(ゆまに書房刊)収録

四つのシグナル 〜 「瞳はダイアモンド」考

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注意 今回は理屈ぽい文章ばかりです。ご遠慮なくパスしてください。

 

ファンの間で最高傑作との呼び声も高い聖子ソング「瞳はダイアモンド」のセルフカバーが公開されました。

www.youtube.com

38年ぶりのレコーディングはファルセットを多様して、若いときとはひと味違う歌唱となっていますね。

 

さて、この曲の歌詞を巡っては昔から論争があります。

♪あなたの傘から飛び出したシグナル♪・・・(1)

♪背中に感じた 追いかけてくれる優しさもない♪・・・(2)

 

争点を整理すると、まず(1)の”シグナル”は次のどちらなのかという点です。

(A)電波や霊気など何らかの信号

(B)交通信号機 (交差点にある緑黄赤)

 

(A)は、傘から飛び出した破局のシグナル(目には見えない)を背中で感じたという解釈です。

(B)がなぜ交通信号機なのかというと、それは作詞をした松本隆の世代(の青山界隈のスカした人たち)がそれを”シグナル”と呼んでいたからでしょう。”あなたの傘から飛び出した交通信号機”ではおかしな日本語に思えますが、”昼に餃子を食べた王将”と同じ言い回しです。「Rock'n Rouge」と「流星ナイト」での”シグナル”は明らかに”交通信号機” ですよね。

 

そして仮に(B)が正しいとした場合、(2)の"背中に感じた"は倒置法なのか、それとも”優しさ”に対する修飾語なのかという点です。つまり、

(ア)追いかけてくれる優しさも無いことを背中に感じた

(イ)今までなら背中に感じていた優しさ(=追いかけてくれる優しさ)が今は無い

 

まとめると、選択肢は次の三つになります。

(A)あなたの傘から飛び出した見えない破局のシグナルを背中で感じた。追いかけてくれる優しさもない。

(B-ア)交通信号機のところで相合傘から私は飛び出した。背中に感じた、追いかけてくれる優しささえないことを。

(B-イ)交通信号機のところで相合傘から私は飛び出した。今までであれば背中に感じていた優しさ(=追いかけてくれる優しさ)を、今は感じられない。

 

報告書や論文でこのような多義的な文章は命取りですが、逆にポエムでは多義的であればあるほど表現された世界が拡がって豊かなものとなります。たとえ作詞者が三つのうちのどれかひとつを想定して書いたとしても、リスナーは自分流に解釈して構わないわけです。

 

実は最近、ある個人ブログでもう一つの解釈がなされていることに気が付きました(リンクは貼りませんが、”瞳はダイアモンド”と”シグナル” で検索すれば見つかるはず)

(1)の「あなたの傘から飛び出したシグナル」は

傘を差す彼ごしに見える信号機・・・(C)

なのだそうです。

主人公の立ち位置から見ると信号機は彼の差す傘の外側に飛び出して見えているというわけです。そりゃそうだ、信号機が傘の中に入って見えるとしたら彼の背丈は3mか?というツッコミはやめましょう。この時点で主人公は彼から離れた位置にいることになります。

さらに、この解釈では”背中”は主人公に向けられた彼の背中です。そうだとすると、彼の方が主人公の先を歩いていることになり、次の「追いかけてくれる」と整合しなくなりそうですが、この「追いかけてくれる」は彼が戻ってくることへの期待と解釈するのだそうです。まとめると、

C)彼の差す傘ごしに信号機が見えている。あなたの背中には、戻ってきて私に傘を差し出してくれる(振り返って気遣ってくれる)優しささえ感じられない。

ということで、選択肢が四つに増えました。ブラボー!

 

個人的には(B-ア)が一番素直だと思いますが、ツマラナイと言えばツマラナイ。その点(C)は意表を突かれてとても新鮮です。難があるとすれば、去って行く男の背中を追いかける聖子ソングはナイなということ。島津亜矢あたりがカバーすれば(C)もいいですね。

 

蛇足ですが、歌詞の二番は明らかに過去の出来事の振り返りですよね(映画のフラッシュバックみたいな)

なぜなら、

♪でもあなたの眼を覗きこんだ時

黒い雨雲が二人の青空消すのが見えた♪

の結果として、現在雨が降っている(別れのシーンに至っている)わけですから。(C)説のブログでは、一番→二番の時系列で読まれていて、その点でもユニークだと思いました。歌詞のユニークな解釈、私は大歓迎です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーディオポエムの源流を訪ねて

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前々回の記事の注釈でマンションポエムに少し触れました。

マンションポエム。マンション広告に見られる詩的なキャッチコピーのことをぼくはそう名付けた。(文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/10004 )

自動車ポエムはさらに前からありますね(例えば1970年代「ケンとメリーのスカイライン」、1980年代「いつかはクラウン」など)

"ポエム"って乙女チックな印象がありますが、身近な観察によれば女子はポエムを好んだとしても割と早くに卒業してしまい、むしろ男子が中学生以降ずっとポエム好き。"男のロマン"とかいっちゃってね。もちろん私もポエム大好きおぢさんです。

なぜオーディオ好きの女子は圧倒的に少ないのか?という問いが国内外を問わずしょっちゅう立てられるのも*1オーディオという分野が丸ごとポエムだからに他なりません*2

そして、オーディオポエムの中心的な役割を担ってきたのがオーディオ評論でしょう。オーディオ評論の登場は1877年の蝋管式蓄音機の発売以降であることは間違いありませんが、本邦初登場がいつ誰によるものかは不明です。

一般書籍として図書館で閲覧容易なものとしては、小説家の上司小剣(かみつかさ しょうけん)による『蓄音機読本』(1936年 文学界)があります。没後70年が経過して著作権が切れたことから、代表的な一章を以下に掲載します。旧字は変更しました。転記の際の誤字脱字があればご容赦ください。


蓄音機神聖論

 蓄音機、レコード道楽も、ちよつと底がはいつたというところで、目下鎮静の形であります。毎月出る新譜にも、さう飛びつくほど欲しいといういふほどのものはなく、欲しければいつでも、金さへあれば買へる、といふのですから、血眼になつて騒ぐやうなこともなく、自然に道楽心も摩滅して行くわけでありませうか。

 私がこの道楽を始めた頃は、なんと言つても、蓄音機・レコードの黄金時代でありました。昨日横浜へ船が着いたから、東京へ荷のはいるのは幾日、売り出しは幾日。……と指折り数へて待つ楽しさ、じれつたさ。さうした興奮は、到底現在の斯界に望めません。なにしろ、従価十割といふ輸入品に対する課税で、母型を西洋から取り寄せて、こちらでプレスする便利な、重宝なことが行はれてから、却つて、この道を楽しむものに熱情が薄らいだやうな気がします。

 他の物には、国産品に優秀なのが多いけれど、蓄音機とレコードばかりは、まだどうしても国産品が外国品に及ばない。これは正直の話であります。機械だけに就いて言つてみても、近頃は、電気蓄音機が大流行で、機械蓄音機すなはちアクーステイツクは、外国でもその高級品の製造を中止したところが多く、恐らく日本だけがこれを製造しているのではないかと想像されるくらいであります。一かどの蓄音機通と言はれる人々が、機械に就いては多く無識で、駆け出しの職工ほどにも、モーターや歯車に関る研究ができていない。稍々(しょうしょう)機械通と言はれる人が、せいぜいサウンドボツクスに就いて、若干の関心をもつているに過ぎない次第で、グリスや軽油のさし方もだらしなく、用いやうを知らないと言つてもよいほどであります。機械の分解方も職工まかせで、製作材料の良否は、ただ外函に就いてのみ云々するのであります。これではレコード・フアンであつても、蓄音機フアンとは言えない。私なんぞ、機械の分解と組立とはもとより、廻転の具合なんぞ、どうかすると一日を費やして、クルクルと空廻はりをさせて試験するし、それがまた楽みなのである。油のさしやうも、研究すればするほどむづかしく、ちよつとしたことが故障になる。その故障なんか無頓着で、ただ廻つてさへいればよいといふ人が多いのだから、情けなくなります。外科医者が手術にかかる前のやうに、十分に手を洗つてからでなければ、私は決して蓄音機に取りかからないし、庭掃除をしたりして、衣服に埃のかかつている懸念のあるときは、必ず着更へてから機械に近づく。医者の診察衣のやうな、純白なものを作つて、蓄音機をかけるとき、いぢるときは、必らずそれを纏ふことにしたいと思つています。私の家の蓄音機の据えてある場所には、可なり入念に天井が張られてあるけれど、なほ上からこまかい埃りの落ちるのを恐れて、先頃職人を天井の上へあがらせ、裏から漆を流させました。

 なんと言つても、蓄音機が主で、レコードは従でなければならぬのに、それを反対にして取り扱っている人が多いやうです。少し極端かも知れないが、私にとつては、レコードは蓄音機の良否を試めす検温器ぐらいにしか思へないことがある。さてそのレコードだが、私のコレクシヨンには珍品と言つたやうなものが殆どなく、十余年前のレコード黄金時代に、他のフアンと非常な競争をして、漸く手に入れたH・M・V片面レコード、パツチイの歌つた「シイ・ヴウ・ナベエ・リアン・ナ・ムウ・デイル」ほか二三枚ぐらいのもの。西洋から直接取り寄せたレコードは、ドビユツシイの「ペレアス・エ・メリザン」七枚と、その他に一二種あるかなしくらいで、他はみな平凡なものばかり。一二年前漸く一千枚に達したときに、その祭りを行つて、蓄音機の前に八足机を据え、御食、御酒から海のもの山のものを供へましたが、その後あまりレコードは殖えず、いまのところ一千二百枚くらいで、まことに汗顔の至りでありますが、私には前にいつたやうに、機械を空廻りさせて、廻転の具合の上々なのを楽しんだり、機械を分解して、歯車やその他のモクネヂ一個でも優秀な金属で造られているのを喜び、外函を拭いては、その木質の良好なのを楽しむ時間が、レコードをかけて楽しむ時間よりもズツと多いのでありますから、自然にレコードが粗略になるのであります。

 優秀な手入れの行き届いた蓄音機さへ持つて居れば、音楽を実演(この言葉には不服で異論があるけれど姑く世俗の呼び方に従ふ)以上に味はふことができる。仮にオーケストラをかけたとして、「いや弦はよく出るけれど、管が不十分だ」なぞと不満足の感を抱く人がある。それもむろんその人の自由で、他からかれこれいふべきものではないけれど、私のやうにどこまでも蓄音機本位のものからしますと、実にをかしい。なぜ蓄音機を主にして実演(?)を従と考へないのかと思ふ。これは私の愛機にのみ就いていふことだが、蓄音機を通して、書斎で聴く音楽は、実にしみじみと味へて良い。それと同じ音楽をば、日本なら新響あたりの演奏を、このまま書斎へもつて来てやられたら、たまりますまい。恐らく一時間経たぬうちに私は病人となるでありませう。実演(?)ばかりでなく、あの非芸術的な電気蓄音機でやられても、やかましくて、しみじみとした味がなく、やはり三時間ぐらいで病人になりませう。

 私にとつて、私の愛機は絶対であります。愛機を通さなければ、私には音楽芸術がないのである。演奏家の方で、もしそれが気に入らなければ、私の愛機に合致するやうに、演奏を改めてくれればよいのだ。曾て私が朝日新聞に長編小説を書いていたとき、挿絵は私の最も敬愛する石井鶴三氏であつたが、或る日、芝増上寺の三門の絵が出た。すると愛読者が、三門の構造がちがつている、あの絵は嘘だ、といふ葉書を私のところへよこした。それを石井氏に見せると、氏は厳然として、「ちがつているなら三門の方を造りかへればよろしい」といはれた。私が蓄音機を神聖とし、本位とし、絶対とするのは、そこである。実物を連想したり、実物と対照したりして、絵画を見るのは、俗物のすることで、優秀な芸術を愛するものは、実物を離れて絵画を見る。優秀なる蓄音機を有するものは、実演(?)を従とし、機械を主として音楽を味はふ。……と私は確信して居ります。しかし、私の蓄音機は私一人だけのための存在であるから、それを他人に聴かせて、私の主旨を他人に強ひようとはしません。蓄音機は一人で静かに聴くに限る。世には立派なレコード通と称せられる人で、粗悪な機械をろくに手入れもせず、台所の味噌摺器具のやうにガラガラ廻して、平気でいるのもありますし、高が玩弄品だぐらいにしか考へないで、蓄音機を取扱つている人も多い。そんなのは私にとつて、到底縁なき衆生であります。繰りかへしていふ。私には私の愛機を通さなければ音楽はないのであります。ー 私の頭を通さなければ私の芸術がないやうに。 ー

 最後に、私のレコードに就いて、また少しいふが、私はモツアルトのレコードが好きで、大抵揃へている。ベエトオヴエンもよいが、どうもあまりに貴族本位の芸術で(モツアルトもさうだが)あるし、威圧されるやうな気がして、聴くのに苦しい。バツハも好きですし、特に嫌ひなものはありません。近代ものでは、先ずドビユツシイ、それからラヴエルもよい。レスピイギもちよつと好き。オネガアは初めは好きだつたが、いまはさうでもありません。「エスカアル」のイベエル、「蜘蛛の饗宴」のルウセルもよいと思つています。そのほか書けばキリがない。音楽ではないが、世界屈指のレコード通あらえびす氏に貰つたトルストイの講演のH・M・Vは短いものだが、あの大文豪を偲ぶにはよいものであります。これにはヴイクターの日本プレスもある。私のもらつたのは英語だが、別にロシヤ語のがある筈で、ラフマニノフが故人と逢つたやうな気のするレコードだといつたさうですけれど、心がけてはいても、なかなか手に入りません。それから、私が電気蓄音機を嫌う理由に就いて少し書きたいが、紙数が尽きたので他の機会に譲りますけど、ひと口にいへば「電気蓄音機」は私の主張する蓄音機神聖論に種々の点で合致しない」からであります。優秀な蓄音機の名器を神聖視するのに不思議はありますまい。鰯の頭でさへ、信心の対照となることがあります。ただ真に優秀な蓄音機といふものは、鰯の頭のやうに沢山はないばかりか、日本に、否世界に果たして幾台ありませうか。手入れが悪く使い方がぞんざいだと、良い機械も悪くなります。その反対に、手入れがよく、取り扱ひに注意すれば、ざらにある粗悪な機械でも、或る程度まではよくなります。片手を懐にして、タバコを銜(くわ)へながら蓄音機をかけるやうでは蓄音機もいい音を出さない。

上司小剣著『蓄音機読本』(1936.6.20発行、文学界社出版部)〜『コレクション・モダン都市文化(第73巻) クラシック音楽』(ゆまに書房刊)収録


 

いかがでしたでしょうか。

「手段が目的化することを趣味という」――。オーディオ評論家の長岡鉄男さんが残した名言だ。(日本経済新聞2020年5月6日)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO58791690W0A500C2MM8000/

その長岡鉄男がまだ10歳だった時代に、すでに上司小剣は次のように言い切っているのです。

なんと言つても、蓄音機が主で、レコードは従でなければならぬのに、それを反対にして取り扱っている人が多いやうです。少し極端かも知れないが、私にとつては、レコードは蓄音機の良否を試めす検温器ぐらいにしか思へないことがある。

優秀な蓄音機の名器を神聖視するのに不思議はありますまい。鰯の頭でさへ、信心の対照となることがあります。

これこそがオーディオ趣味の本質・原理・源泉なのであり、上司小剣は現在にまで連なるオーディオ評論家(オーディオポエト)の始祖のひとりであることは間違いありません。

ソロ・ギターで聖子ソング

 

https://www.musey.net/wp-content/uploads/2015/01/image-23.jpg

 

ギターは一台でメロディと伴奏を弾くことのできる楽器ではあるものの、右手の小指を除く四指だけでメロディと伴奏を奏でなければならないので、左手を伴奏に右手をメロディに使えるピアノに比べてかなり制約があります。そのためギターソロに向く曲と向かない曲とがあって、聖子ソングはあまり向いていないように思うのですが、それでも果敢にチャレンジした動画をYouTubeから集めてみました。

 

白いパラソルの伴奏リズムパターンは、コンサートでよくある手拍子"パンパパン"と同じですね。低音弦でこれを維持しながら高音弦にメロディを載せるのは難しそうだし、それが出来たとしても良い曲に聴こえるかどうか。
この動画の場合、"パンパパン"をやめてボサノバ調にしたのがグッドアイデアで、とても巧みな編曲だと思います(♪正直な〜♪の「な」は半音下げた方が良いと思うけど)

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次の「赤いスイートピー」と「Sweet Memories」は、有名歌手の伴奏やレコーディングに参加されているプロの方の動画です。埋め込み再生できないので、次のリンクからYouTubeでどうぞ。

赤いスイートピーhttps://www.youtube.com/watch?v=NPr7_jpncA8

Sweet Memories岡崎倫典のAcoustic Wind~番外編 "SweetMemories/スイートメモリーズ" - YouTube

この2曲は、「白いパラソル」よりはギターソロ向きな曲のように思いますが、その分、ベースや対旋律の動きを取り入れた難しい編曲になっているようです。

 

もうひとつのSweet Memoriesはギターの編曲集を出版されている方で、出版譜の演奏見本でしょうか。こちらも十分に聴かせる編曲ですね。

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プロのクラシックギタリストの編曲と演奏で瑠璃色の地球です。聖子ソングの中ではギターソロ向きかなと思いますが、クラシック的な格調高い仕上がりになっています。

youtu.be

 

そして、こちらはアマチュアの方のようですが、ギターの弦やボディを打楽器的に使う超絶技巧でビートの問題を解決したチェリーブラッサムです。お見事!

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こちらもスラップ奏法による青い珊瑚礁、気持ちいいです!

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そして「Rock'n Rouge」

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ブラボー!!

 

こうやって皆さんの素晴らしい演奏を聴いていると、なんだか自分でも弾けるような気がしてきますが、ギターは中学生なら誰でも罹る麻疹(はしか)、「禁じられた遊び」までは出来ても御多分に漏れず「アルハンブラの思い出」で諦めた私には到底無理なお話。

聖子ソングは、B面やアルバム曲にギターソロ向きのものがあると思うので、腕自慢の方はぜひ挑戦してYouTubeにアップしてみてくださいね。以上、他力本願でした。

 

 

Top of the World (有頂天ビート)

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カーペンターズの1972年のヒット曲「Top of the World」、和訳すれば ”有頂天” かな、メロディも歌詞も素敵ですが一番の魅力はそのビートにあると思います。聖子ちゃんのライブでよくある手拍子"パンパパン"を速くして弾ませたような感じの。(ポップスの歴史に詳しくないので、このビートのルーツが何処にあるのかご存知の方はコメント欄で教えていただけると嬉しいです。)

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トップ・オブ・ザ・ワールド 歌詞の意味 和訳 Top of the World カーペンターズ

 

この"有頂天ビート"を採用した聖子ソングは、1999年の「葡萄姫」が最初だと思います。

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あらてめて聴くと、やっぱりとても良い曲でした。大人になった "聖子ちゃん" に期待したいのは、まさにこのような歌です。

出だしの歌詞、

♪十月の絵の具が燃え上がる森へ♪

素晴らしい!これぞ松本隆と絶賛したい。

♪前髪 1mm 切りすぎた午後♪

と双璧ですね。最小の語数に最大の情報を盛り込む、これをポエムといわずして何をポエムといいましょうか*1

もっとも、聖子さんによれば、ストーリーを浮気に持っていかないところが松本隆なのだそうです(そっちか〜い)

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拙ブログにときどきコメントをくださるボッサクバーナさんが以前に仰っていたことには、この「葡萄姫」というタイトルに文学的な秘密があるそうです。きっといつかどこかで語ってくださることでしょう。

 

実は、"有頂天ビート"の聖子ソングは、もう一曲あります。2018年の「永遠の愛で 変わらない愛で」

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タイトルも歌詞もいつもの聖子ワード満載ですが、"有頂天ビート"のマジックで、それも曲調に似合っているような気がしてきます。

しかし、この"有頂天ビート"のアレンジは、聖子ソング40年間の歴史の中でたったの2曲しか無いようです。モータウンビートと同様に、ビートが個性的過ぎて楽曲の印象が固定されてしまうからでしょうか。

 

聖子ソング以外でも、私に思いつくのはSalyuの「HALFWAY」だけで、ちょっとさびしい。

Salyu 「HALFWAY」

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これもとっても良くて、"有頂天ビート"にハズレなしですね。

もし、他の曲をご存知でしたら、コメント欄で教えていただけると嬉しいです。

 

*1: ポエムって、最近ではすっかり蔑まれる存在になってしまい、ポエムおぢさんの私としては悲しい。しかし、「ある文章がポエムの体裁をとるとき、そこでは何かが隠されようとしている」というのは至言。(2ページ目)1000作品以上集めてわかった「マンションポエム」に隠された“ワナ” | 文春オンライン

『A LONG VACATION』の二百分の一?

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大瀧詠一のアルバム『A LONG VACATION』が松田聖子のアルバム『風立ちぬ』のA面と深い関係にあることはポップスファンならご存知かもしれませんが、クラシックの楽曲とも関係していることはご存知ないでしょう。もしかしたら、作曲者自身もご存知なかったかもしれません。
 
『A LONG VACATION』はスタジオ録音だが模擬ライブの体裁をとっていて、冒頭にチューニングのシーンが収録されています*1
 
同様に、冒頭がチューニングのシーン(ちゃんと楽譜に書かれている)から始まるのがルクーの「リエージュ民謡による対位法的練習曲」です。
ギヨーム・ルクー(1870-1894)

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いやいや、冒頭だけじゃ生温い、全曲でしょ、というのがヴァレーズ の「チューニング・アップ」。途中で凄まじく混沌としてきますが、最後は全員がAに揃ってめでたしめでたし。

エドガー・ヴァレーズ (1883-1965)

youtu.be

 なお、リッカルド・シャイー/RCOのCDでは「チューニングアップ」の直後に「アメリカ」というグワッシャン系の曲が置かれていて何のために入念にチューニングしたのかわからないという、そこはかとないユーモアを感じさせる収録曲順になっています。

Varèse: Amériques - Original version. Ed. Professor Chou Wen-Chung - YouTube

 

そもそもチューニングを楽曲に取り入れようというアイデアを実践したのは(現在でもよく知られている作曲家では)ハイドンが最初のようです。この第60交響曲では冒頭のチューニングではなくて、演奏を始めたら調子っぱずれだったので途中で止めてチューニングするという、言ってみれば音楽コントになっています。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809) 

youtu.be

 『A LONG VACATION』の元ネタのひとつは江戸時代ということになりますね。

チューニングを取り入れたクラシックはこの他にもあったような気がするのですが思い出せません。ご存知の方はぜひ教えてください。

 
<追記>
引用の巨匠大瀧詠一は少なくとも二十曲の先行作品が集まらないと作曲しないと語っていたことから、アルバム全体では "10曲✖️20曲=200曲の先行作品"が存在することになります。チューニングもそのうちの一曲分とみなして、タイトルを「二百分の一」としました。
 
 

*1:一曲目の「君は天然色」のオフィシャルビデオではいきなり曲が始まることから、チューニングは「君は天然色」の一部ではなくて、あくまでもアルバム全体の一部であることが分かる。[Official] 大滝詠一「君は天然色」Music Video (40th Anniversary Version) - YouTube

瞳とじて 踊り明かそう with you

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シンガーソングライター聖子さんは毎年のようにアルバムを出してきたので、熱心なファンでも自作自演曲にはちょっと食傷気味かもしれません。そういった中で、2007年6月発売の『Baby's breath』は、メロディメイカーとしての才能が発揮された佳曲揃いの優れたアルバムだと思います。spotifyでの全世界再生回数は次のようでした。

涙がただこぼれるだけ

94,217

蒼い雨

7,417

あなたのいない日々

6,908

もう一度出会える奇跡

3,848

しあわせをつかまなくちゃ!

3,017

瞳とじて

2,882

春夏秋冬

2,549

I’ll say I do

2,253

僕がそばにいるから

2,212

迷い込んだdestiny

1,575

当然ながらシングル曲がダントツの人気ですが、今回は私のお気に入り「瞳とじて」を取り上げたいと思います。

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この曲にはちょっとした秘密があるのです。

次の譜例をご覧ください。

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(上)踊り明かそう、(下)瞳とじて

ミュージカル『マイ・フェア・レディ』から「踊り明かそう」の冒頭と、「瞳とじて」のBメロの冒頭とをハ長調で表したものです。譜割りに着目すると、「踊り明かそう」の1小節目の八分音符3つが「瞳とじて」では三連符に拡大される一方、「踊り明かそう」の2−3小節目は「瞳とじて」の2小節目の中に圧縮(赤矢印)されています。音高は違っても旋律線の上げ下げのパターン(青矢印)は同じで、サビの ♪瞳とじて♪ も同じパターンになっています。

百見は一聴に如かずなので、まず「踊り明かそう」を聴いてみましょう。

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そして「瞳とじて」

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そこに付けられている歌詞にも注目してみてください。

 

「踊り明かそう」

♪I could have danced all night(一晩中だって踊れたわ)♪

 

「瞳とじて」

♪踊りたいの♪

 

聖子さんは引用の巨匠大瀧詠一の実質的な一番弟子*1でしたよね。『風立ちぬ』でのレッスンが時を超えて成果をもたらしたようです。

 

なんだよ、この程度で「秘密」かよ、という声が聞こえてきそうですが、安心してください、ここまでは前振りです。

 

さて、聖子ちゃんファンなら、「瞳とじて」で歌われたパーティの風景をどこかで見た(聴いた)ことがあるのではないでしょうか。
そうです、Seiko Plazaのオマケに付いてきた透明シングル盤「WITH YOU」です。

youtu.be

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「WITH YOU」

♪他の人の誘い みんな断って 

一人で待ってるの

Let me dance with you ♪

 

「瞳とじて」

♪踊りたいの 抱かれながら

夢みたいの ひとときの♪

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歌詞を読み比べればお分かりかと思いますが、「瞳とじて」は「WITH YOU」の続編、つまりアンサーソングです。

証拠もあります。

次の譜例をご覧ください。両曲の冒頭をハ長調で表したものです。

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(上)WITH YOU、(下)瞳とじて

これはもう一目瞭然ですね。
4小節目の最後は違うように見えて、オクターブ下がっているだけです(赤矢印)。

 

一応、聴いてみましょうか。「WITH YOU」

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「瞳とじて」

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実は、ここまではずいぶん前にSNSでも話題にしたトピックなので、目新しい話ではありません*2。 このアルバムに、思い出したように唐突に「WITH YOU」のアンサーソングが入っているのは不思議でしたが、そのときは深く追求しませんでした。

 

最近、たまたまこの「瞳とじて」を聴いて、

♪感じていたいから♪

♪このままもう少し♪

の後にそれぞれ入る男性コーラスにとても惹かれました。(下の動画で確認できます。)

youtu.be

 

編曲者は誰だろうと調べたら、

作詞:Seiko Matsuda/作曲:Seiko Matsuda/編曲:Hidetoshi Yamada

とありました。これは "山田秀俊" *3に違いありません。

『Pineapple』『Candy』『ユートピア』などのコーラス及びコーラスアレンジを担当された方です。「Sweet Memories」は一人多重コーラスだそうです。

 

youtu.be

 

そして、アルバム『Baby's breath』の中で山田秀俊が編曲を担当したのは、この「瞳とじて」一曲だけ。

 

このことがヒントになって謎が解けました。冒頭に書いたこのアルバムの発売日を思い出してください。2007年6月ですよね。そのちょうど10年前、1997年6月、数々の聖子ソングの編曲者で「WITH YOU」や「Sweet Memories」の作曲者、大村雅朗が亡くなっているのです。山田秀俊は彼の最も信頼する協力者のひとりでした。

 

そう、「瞳とじて」は、もうひとつの「櫻の園*4だったのです。

 

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<追記>

コメント欄にいただいた情報で、2021年2月3日にnidogatariさんがtwitterで同内容のツイートをされていたことが分かりました。つまり、私が ”秘密” として勿体ぶって上に書いたことは実は秘密ではなかった訳で、お恥ずかしい限りです。
そのnidogatariさんのツイートの中に「瞳とじて」と「踊り明かそう」との関連性を示唆するヒントがありましたのでツイート全文を引用しておきます。

#松田聖子の歌詞に出て来る女の子総選挙 「with you」で片思いの彼を見つめていた少女、舞姫夢子さん 少女は成長し「瞳とじて」を歌う 誘われたpartyで 彼の肩に頬を寄せ 愛の言葉をささやく 踊りたいの 抱かれながら 夢みたいの ひとときの 瞳とじて あなたの優しさを 感じていたいから <つづく>

<つづき>大村雅朗さん没後10年の節目に、大村さん作曲の「with you」 のモチーフを使ってその続編を作ったのが松田聖子作曲の「瞳とじて」ではないのか、というのが私の持論です。歌詞も、with youの主人公の少女が大人に成長した内容です。

「瞳とじて」は、今は亡き大村さんに、私こんなに成長したのよと語りかけているような松田聖子さんの歌声が印象的です。

ミュージカル『マイフェアレディ』の中で「踊り明かそう」が歌われるのは、訛りのある主人公が綺麗な発音を習得した場面の後、主人公が成長できた喜びを噛みしめる場面です。つまり、nidogatariさんの3つ目のツイートにある「私こんなに成長したのよ」ですね!

「私こんなに成長したのよ」→「踊り明かそう」→パーティのダンス繋がりで「WITH YOU」

こういった理由で「瞳とじて」に「踊り明かそう」と「WITH YOU」が引用されたのではないかと想像(妄想)します、深読みが過ぎるかもしれませんが。でも、もしそうだとしたら、今更ながら聖子さんに脱帽です。

 

 

 

 

*1:レコーディングの際、メロディ決めのために様々なバリエーションを歌わされた。

*2:両曲の類似を指摘している個人ブログもあります。

*3:https://plaza.rakuten.co.jp/haruasahi/diary/201912090000/

*4:大村雅朗作曲の遺作に松本隆が歌詞を付け松田聖子が歌った追悼曲。https://ja.wikipedia.org/wiki/永遠の少女

ラテン系聖子SONGS

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”サンバじゃないのに「マツケンサンバ」 歌謡曲の「謎タイトル」なぜ定着?その歴史を調べた” という、なかなかに興味深い記事を見かけました。

 https://www.j-cast.com/2021/09/26420832.html

詳しい内容は上のリンクからご覧いただくとして、記事中の次の指摘を、鋭い私の目は決して見逃しませんでした。

・歌詞に『叩けボンゴ』とあるがサンバでボンゴは使わない

そうです、ボンゴです。ボンゴと言えばこの曲に決まっています。

www.uta-net.com!

♪ボンゴのリズムに揺られては 誰もが陽気に騒ぐ♪

しかも場所が「南太平洋」ときたもんだ。

それでタイトルを「サンバ」ではなくて「サンバの香り」にしたのね。まことに奥ゆかしい。

 

というわけで、今回はラテン系聖子SONG特集です。

1. サンバ風

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2. レゲエ風

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2. ボサノバ風

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3. ボサノバ風

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4. ボサノバ風

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5. ボサノバ風

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<参考>

謡曲ではなくて本場もの。

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ブラームスはお好き!(その2)

先日の投稿に取り上げてからというもの、ブラームスの第2交響曲がちょっとしたマイブームに。こういうときサブスク(spotify)は本当に便利で、SP時代から最新版まで大量の録音が見つかります。とても全部は聴ききれないので、第4楽章だけをプレイリストに登録して要所要所のつまみ聴きをしてみました。

 

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ブラームス交響曲第2番第4楽章第411-418小節

今回注目したのは、上の楽譜に示すとおり全曲の大詰めで金管楽器(青枠)がフォルテを吹き鳴らし、ティンパニ(黄枠)トレモロを轟かせる中、音量的に不利な低弦(チェロ&コントラバス)とファゴット(赤枠)が音階を上がり下がりするのが明瞭に聴こえるかどうか

そして、ティンパニ(黄枠)の八分音符 --> トレモロ --> 六連符 の違いがわかるかどうか。

もちろんコンサートの実演ではこんな細かいことは気にせず豪快にぶっ放して欲しいのですが、正規のスタジオ録音となれば話は別。ブラームスがそのように書いたからには、その書かれた音を聴きたいと思います。

そして、様々な録音を片っ端から試してみると、どういうわけか、これまで名盤として推薦されてきた録音で上手く聴こえるものは少ないようで、聴いた中ではザンデルリンク旧盤、ティンパニが幾分不明瞭なアバド盤くらい。

 

こちらがザンデルリンク旧盤。

www.youtube.com

そしてアバド 盤。

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一方、誰も顧みることの無くなったSP録音(1933年)ですが、低弦の動きを聴かせるためにバランスを調整しているストコフスキー 旧盤。録音機材の性能が未発達な中、これだけの演奏を聴かせるのは素晴らしいと思います。

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そして、平凡と切り捨てられてきたものの中に、上手く行った演奏が見つかります。例えば、アンサンブルが「大学オケ未満」と評されたアンセルメ盤は、アバド盤くらいには出来ています。

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全く評価されなかったノイマン盤も低弦が聴こえます。

youtu.be

 

無名指揮者&オーケストラの実演ながら低弦がよく聴こえます。このコンビはスタジオ録音も同様なので、指揮者の指示でしょう。open.spotify.com

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スタジオ録音盤はこちら↓
Symphony No. 2 in D Major, Op. 73: IV. Allegro con spirito - song by Johannes Brahms, Novosibirsk Symphony Orchestra, Arnold Kaz | Spotify

 

若手指揮者で、活きの良いティンパニが活躍するティチアーティ盤。速いテンポで低弦はちょっと弱めかな。

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YouTubeには無いNaxosベルケシュ盤。良い演奏なのにCDにもしてもらえず、データ配信のみという扱いです(9:22-) ↓

Symphony No. 2 in D Major, Op. 73: IV. Allegro con spirito - song by Johannes Brahms, Győr Philharmonic Orchestra, Kalman Berkes | Spotify

 

ーーーーーーー

spotifyには1ヶ月間の全世界での再生回数が表示されます。そこで、いわゆる「名盤」と、上で取り上げた低弦が明瞭に聴こえる録音(太文字)とを再生回数順に並べてみると次のようになりました。

低弦が不明瞭な「名盤」6件分の1ヶ月の再生回数合計 227,532回
低弦が明瞭な録音7件分の1ヶ月の再生回数合計 40,169回(1,000回未満のものは1,000回としてカウント)

この一事をもって判断するのは軽率ですが、そうは言っても5倍以上という大差がつくと、世界のクラシックファンはスター指揮者と超一流オケの有名レーベル録音を聴きたいだけなのかと勘ぐりたくなります。ブラームスの意見も少しは聴いてあげてね。

 

<参考>

一番人気のカラヤン新盤も挙げておきましょう。低域までフラットに再生できるヘッドホンやイヤホンで聴けば低弦が何かモゴモゴ言っているのはわかるが、旋律としては不明瞭。

youtu.be

ラトル盤はティンパニ にかき消されてほとんど聴こえません。

youtu.be

 

 

 

 

 

 

二拍三連 Seiko Songs(誤用)

二拍三連* のSeiko Song というと、聖子ファンなら「Only My Love」、一般には「Sweet Memories」を思い浮かべるのではないでしょうか。ざっと調べた限りでは、40年で11曲見つかりました。(見落としがあったらすみません、コメント欄で教えてください。)

* 三連符の伴奏パターンを”二拍三連”と思い込んでいましたが、間違いかもしれません。正しくは何と呼ぶのでしょうか? 八分の六拍子で取って”ハチロク”?  詳しい方、コメント欄によろしくお願いします。(追記)

*「ハチロク系」とするのが正しいようです。コメント欄でLULLABY80sさんに教えていただきました。ありがとうございました。(追記2)

1. Only My Love

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2. Sweet Memories

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3. 赤い靴のバレリーナ

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4. チェルシー・ホテルのコーヒー・ハウス

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5. Merry Christmas

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6. KissしてX'mas

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7. 白いバラをあなたに…

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8. Twinkle Star, Shining Star

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9. 風に吹かれて

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10. 友達から恋人までの距離

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11. Fairytale

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以上、11曲、いかがでしたか。私は特に「Merry Christmas」が気に入りました。

アンドロイドはステレオ録音の夢を見るか?

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現在の音楽録音の多くは2チャンネル・ステレオ方式です。左右に間隔をあけて並べた二つのスピーカーからそれぞれ音が出ているのですが、なぜか二つのスピーカーの間の空間から音が出ているように聴こえます。これが耳(脳)の錯覚であることは簡単に確かめられます。

まず、目を閉じてこれを聴いてみてください。左右が違う音の録音です。

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目を閉じていても左右にスピーカーがある(スピーカーが二つある)ことが分かりますよね。これが普通です。

 

今度は左右が全く同じ音の録音を、目を閉じて聴いてください。

youtu.be

 

目を閉じて聴くと、スピーカーは真ん中にひとつしかないように聴こえます。左右が全く同じ音のときだけ、そう聴こえるのです。物理的に二箇所から音が出ているのに一箇所からしか聴こえないというのは明らかにリスナー側の錯覚です。この錯覚を逆手にとって、うまく利用したのがステレオ録音です。

もし聖子ソングを聴いたときに聖子ちゃんの歌声が左右ダブルトラックで聴こえるなら、あなたはきっとアンドロイドに違いありません。(それはそれでうらやましいかも。)